武蔵ヶ丘合気道クラブは、「総合型地域スポーツクラブ NPO法人 クラブきくよう」の定期教室にて活動をしております。興味のある方は、ぜひ無料体験から参加ください。熊本県菊陽町内外在住問わずどなたでもいつでも入会可能です。

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NOTE


最近は日本の中でも凶悪な犯罪が増えている様に感じます。情報化社会になり個人でも動画や写真を簡単に撮影したりSNSで発信出来たりすることから一昔前よりも情報が多く伝わっているという事もあるでしょう。大規模な自然災害が起きたり、科学技術の発展により大規模の事故も起きます。何より痛ましいのは大きな国が戦争まで引き起こしている事です。人類の破滅へのカウントダウンとも思えてしまいます。
 人間同士が起こす戦争は人が努力すれば防ぐ事が出来る災いです。争いは様々
原因で起こるのですが、争いを防ぐためには、小さなところからお互いの存在を認め合いひとりひとりの心が争わない気持ちになる事です。人を騙したり、陥れたり、自分だけ得をしようとすれば、バランスが崩れて、負の力がいつか己に帰ってきます。
合気道には争う気持ちでは無く、結ぶ心が大切です。結ぶとは産む事です。破壊では無く、未来の創造です。この武道は生生発展するものです。開祖はこの武道は武産合氣(たけむすあいき)であると大切な事を伝えております。人類が手を取り合って平和な未来を築く事を高いところから祈っておられると思います。

(令和5年4月)

半世紀以上の合気道を研究し、稽古し続けている先輩方とお話しする機会がありました。私たちを指導して下さった同じ大師範の高段の弟子です。
”呼吸力”(こきゅうりょく)という合気道の極意を間違って理解しているのではないかとの懸念があります。九州に伝わる呼吸力は合気道開祖植芝盛平先生の戦前戦後の内弟子を経験し、開祖より最高段位の九段位を頂き、九州師範長でもあった砂泊秀先生が長年の修行の後に得た感覚として”これが呼吸力である”とされました。呼吸力とはこれであると開祖は分かる形で残されて無いと思われます。様々な合気道歌や合気道の技の伝書はあります。長年開祖の元で秘書のようにされていた砂泊扶妃子先生も確認されていたと思います。合気道の技と心は手を通して伝えていくものです。形や言葉だけでは理解できません。合気道を志す者は”合氣道の精神”を唱和し、”合氣道の心”である”呼吸力”を求め、鍛錬し、世界の平和を願うのです。世界には争いが増え続け、人類には一刻の猶予も無くなりました。平和な世界へ導く極意”呼吸力”が花開くように精進していきたいと思います。

(令和5年1月)

世界では武力により一方的に他国へ侵攻したり、挑発する行為が行われております。本来、”武”という文字は中国で興り、”矛”と”歩”で「矛を進める」という意味があるそうです。現代に於いても権力を持つものがどこまでも我を押し通すつもりなのでしょうか。最後に己、ひとりだけで地上に生き残るつもりでしょうか。人の欲や愚かさは計り知れません。
師は”武”というものを”矛”を”止”と解釈して実践するのだとおっしゃいました。合気道で教える武は争いの無い世にする道です。日頃から争う気持ちで剣を振り修業を行えば邪な道に落ちます。争う様な相手とも心で結べるよう己に厳しく、体を鍛え、健やかな未来の世へ繋がるよう成長して行きたいものです。「この武道を3か月やったら天下無敵になる」と開祖はおっしゃいました。「人類は兄弟であり、天下に敵は無い」この事を正しく悟る道が合気の道であり、本物の日本の武道です。

(令和4年8月)

昨今、メディアによる露出が増えたことで、基本技にも指導師範によりハッキリと違いがあることが分かりました。特に二ヶ条と三ヶ条の最後の極め方が異なっている様です。また他の高弟からも伝わっているようで、同じ型を見ることが出来ました。技の研究材料としては興味深いものがあります。
私の師が晩年に伝えられたことは「写真でも動画でも伝わらない」という事です。「手を取って伝えるのが合気道である。」門人に限らず分け隔てなく多くの人に手を取っていただき直接感じてもらう活動をされておりました。型に囚われていると大切な事を見落とすこともあります。道から反れる事の無い様に精進して参りたいものです。

(令和3年4月)

合気道に於いては、黒帯を付けたら上達するとか、極意の巻物を手に入れたら技を覚えるという事はありません。数十年も稽古したから達人になるとも限りません。家系でのみ技を習得するものでもありません。また習得は難しいと思い込んでいる人は、いつまで経っても心を悩ませるばかりで自信が持てません。
心から愉しみながら稽古する事を合気道では伝えております。絶対的自己完成の道です。他人との比較など無用です。与えられた体や能力を武道を通して磨き、世のために自分自身を活かすことが合気の道です。

(令和3年3月)

神業(かみわざ)という言葉があります。神様しかできない業の事を指します。合気道開祖は「この武道は神サンから頂いた武道だから大切にしないといかん」と仰られております。ですから合気道のすべてが神業であります。一部の達人と呼ばれる人だけが使うものではありません。世界中の誰もが素晴らしい武道を習得できる時代。合気道を修練することによって争いの無い平和な世界へと導かれているのであります。

(令和2年1月)